まだ肌寒い気温の中、桜の木の下に寝転がっている人物の名前を呼ぶ。
しかし聞こえないのか無視をきめこんでいるのか、返事が返ってこない。
「日向さん」
もう一度、名前を呼ぶ。
ピクリと少し反応した後、ゆっくりと起き上がり、やや不機嫌そうな顔でこちらを見てくる。
「…あんだよ、若島津。」
「何だじゃないでしょう?いいんですか、みんなとお別れしなくて。」
東邦学園は中学から大学までエスカレーター式にあるが、日向達は高校で卒業し、学園を出る。
だから、今日は学校にいられる最後の日なのだ。
「反町なんかもうボロ泣きですよ?それに、みんな日向さんのこと、探してたし。」
普段のお調子者は、こういう時に弱いのか。
「……」
それでもだんまりをきめこんでいる。
「日向さん!……あ〜、そうですか。東邦学園サッカー部元主将は、お別れが悲しすぎて、みんなの前に顔を出せないんですか。」
少しおちょくるような言葉を放つ。
「なっ…馬鹿言ってんじゃねえよ!」
案の定、その言葉に反応してきた。
「じゃあ行きましょうよ。みんな待ってるんだから。」
「…………チッ」
やはりあまり乗り気ではないらしい。
「もしかして、本当に寂しいんですか?」
「…いい加減にしろよ。若島津。」
「いや、だってあんたがそんなに嫌がるの久々じゃないですか。」
「…別に、嫌なわけじゃねえよ。」
見透かされたのが気に食わないのか、ややふてくされて答える。
「…苦手なんだよ。あーいうしんみりした雰囲気。」
確かに、この男はしんみりした雰囲気など苦手そうだし、少し失礼だが、似合わない。
「今生の別れじゃあるまいし、わんわん泣きやがってよ…」
「気持ちの問題ですよ。これからは今までみたいに毎日会えるわけでもないんだから、寂しいんだよ、みんな。」
「まあ、それは分かるけどよ…」
それでもまだ渋っている。
「あんた、本当にどうしたんだ?小学校の時はちゃんとみんなと別れたじゃんか。なのに今回に限って…」
明らかにいつもと様子が違う。
一体、何が彼をここまで動かさないのか。
「………」
静寂が辺りを包む。
「日向さ…」
そう言いかけた途端、強い風が吹いてきた。
風に揺られ、桜の花びらが舞うかのように吹き荒れる。
その美しい光景に、一瞬、時が止まった。
風が止み、ハッと我に返った若島津は日向の方を見た。
その表情は先ほどの憂鬱そうなものではなく、何かを決心したような顔だった。
「日向さん…」
「…行くぞ、若島津。」
立ち上がり、校舎の方へ向かおうとする。
「…いいんですか?さっきまであんなに渋ってたのに。」
「何かな、今の見たら、頭さっぱりした。」
少し、寂しそうな顔をして、こちらを見る。
「やっぱり、別れはちゃんとしなきゃ、な…」
そう言って、先に学校の方に戻っていく。
「……?」
何か、違和感を感じる。
何故?
先ほどまでの、憂鬱そうなものとはまた違う、違和感。
「…何だってんだ?一体。」
その時はまだ、気付かなかった。
こんなことになるなんて。
あそこで気付いていたら、何かが変わっていたかもしれないのに。
気付くことが、出来なかった。
日向小次郎が、ワールドユース本選出場を辞退したのは、それから半年後だった―
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